救護施設「桃李園」|北播磨にただ一つ、社会福祉施設の原点として社会的弱者の生活と命を支え続ける

しごと紹介

1. 桃李不言、下自成蹊。

「桃李もの言わざれども下(した)自ずから蹊(みち)を成す」(『史記』李将軍列伝第四十九より)

 

桃や李(すもも)の樹は、美しい花を咲かせ美味な実をつける。だから、何も言わなくても人が集まり、その下には自然に道ができあがる。この意味を由来に「桃李園」は名付けられた。

 

「施設が、そんな穏やかな場所になれますようにという、先代の願いが込められています」

 

桃李園の経営主体である社会福祉法人 成蹊会の理事長であり、救護施設 桃李園の施設長を務める武田てる子さんが説明してくれた。

 

2. 生活困窮者を支えるセーフティネット「救護施設」とは?

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

 

日本国憲法第25条のこの一文は、誰しも一度は目にしたことがあるだろう。

 

救護施設とは、この理念のもと、身体や精神の障害や何らかの生活上の問題のため、日常生活を営むことが困難な人々が入所し、健康で安心して生活をしながら自立を目指す施設だ。

 

全国に186カ所あり、利用者は約17,000人(平成28年10月1日現在)。本人や扶養家族、病院や矯正施設などから福祉事務所へ相談が持ち込まれると、福祉事務所から救護施設へ依頼が届き入所が決まる。生活保護の受給者であること以外、障害の種別による利用の制限はなく、支援を必要としている人々を幅広く受け入れる、いわば「最後の砦(とりで)」。桃李園もそんな福祉の拠点のひとつとして、多くの生活困窮者を支えている。

 

3. 北播磨の地で、社会的弱者の命と生活を守り続けて

「昭和61年頃、義父と整形外科医だった主人が、加東郡滝野町(現・加東市)に特別養護老人ホームを建てようと計画をしていました。その話を耳にされた兵庫県の関係者から、『北播磨管内に救護施設が必要なので、開いてもらえないか』と打診があったのです。その要請を受け、昭和63年5月に、老人ホームに代わって救護施設『桃李園』を義父が開設しました」

 

以来33年間にわたり、兵庫県下の社会的弱者の命と生活を支え続けている。

 

現在、桃李園には19才~88才までの男女70人が入所。栄養士や医師、看護師、生活支援員、生活指導員など26人の職員がそれぞれの専門分野で協力し、利用者一人ひとりの希望や要望を聞きながら、個別支援計画に基づきサポートを行っている。

 

洗面や入浴、洗濯などの訓練を通じ、社会生活に適応できる生活習慣の確立を目指す「生活支援」、障害や年齢、体力に応じた機能回復や維持を目指す「機能訓練」、自立した社会生活を送るため授産作業へ参加し活動を行う「就労支援」、訓練用住居で生活訓練を行い社会的自立を目指す「居宅生活訓練」などが主な支援の内容だ。

 

中でも就労支援は、平成29年7月に兵庫県の生活困窮者就労訓練事業認定を受け、積極的に推し進めている。

 

 

「桃李園は、掃除が行き届いた施設なんですよ」

 

武田さんが語るように、ここでは清掃も利用者たちの授産作業のひとつだ。

 

「病院に入っていた時は何もできなかった人たちに、掃除がきっかけとなって就労意欲が生まれました。障害者だから仕事ができないのではなく、仕事の機会がなかったため意欲を持てないだけだったんです」

 

こうした施設内の清掃作業をはじめ、洗濯や農園作業、企業から委託された内職作業まで、利用者に合わせた就労訓練を行っている。

 

その他、平成19年より毎月第3木曜日に、アルコール依存症の人々に向けた「断酒会」を開催。また第1・第3土曜日には地域の人たちのための喫茶店を、第3土曜日には「書道教室」を開くなど、地域と交流機会を持つことにも積極的だ。

 

4. 2万5千人を受け入れた、施設長としての信念

施設長の職に就き13年を数える武田さんは、これまでに約2万5千人もの人々を施設に受け入れてきた。

 

「栄養失調だった利用者の方が、栄養管理された食事を摂る生活を続けただけで、視力が回復したこともあります。利用者の皆さんが、少しずつでも変わっていく姿を目にすると、頑張ろうという気持ちになりますね」

 

 

そう言って微笑む武田さんには、忘れられない思い出がある。

 

北海道から船に乗り、舞鶴を経て大阪へたどり着いた青年が、福祉事務所に保護された。入院した病院では2年間、口をきかないまま退院となり、桃李園へ入所。職員が声をかけても毛布をかぶって震えているだけで、口を開くことはなかったという。

 

「当時、副施設長だった私は、毎朝彼と面談室で顔を合わせる時間を設けました。そうするうちに、『おはようございます』と彼の方から挨拶をしてくるようになり、少しずつ会話を交わすようになりました」

 

そんなやり取りが始まって3ヵ月目。「子どもの居場所がわからないなんて、親にとってこれ以上の苦しみはない」と諭した武田さんに、青年は初めて名前や年齢、出身地を明かした。すぐに警察を通じて家族と連絡がつき、母親と泣きながら電話で話した青年は、無事に実家へ戻って行った。

 

「その後の話では、私が彼の母親の姿と重なったそうです。」

 

心は通じる――。施設長として事業に取り組む、武田さんの信念となっている。

5. やさしく、強く、誠実に。福祉の原点を共に支えて欲しい

救護施設には、いろいろな人がそれぞれのサポートを求めてやってくる。

 

「100人いれば、100通りの支援をしなくてはいけません。対応力が求められる仕事なので、いろいろな経験をしてきた人や、これから経験する覚悟のある人と出会いたいと思っています。若い人にも福祉に興味を持ってほしい」と言う武田さん。

 

現在の職員は、社会福祉士、精神保健福祉士、看護師、介護福祉士などすべて有資格者。勤続年数の長い職員が多く、中には叙勲受章者もいる。

 

「職員に求められるのは誠実さ。利用者と信頼関係を築くことが、何より大切な仕事です。利用者には、感謝の気持ちをうまく表現するすべを知らない人が多いんです。だから、やりがいは与えてもらうものではなく、自分で見つけ出すものだと気づいた人が、長く働き続けていると思います。やさしさだけではなく、心の強さも必要な職場です」

 

「救護施設は、社会福祉施設の原点」と語る武田さん。

 

「いちばん大切なものは命です。命と生活を支える桃李園は、社会の役に立っているという自負があります。だから、私がこの世からいなくなっても、ずっとずっとこの施設が続いてほしいと願っているんです。」

 

経営者紹介

理事長 武田てる子さん

1. 主婦、病院経営、そして施設長へ

「桃李もの言わざれども下(した)自ずから蹊(みち)を成す」

 

施設長室に飾られた書は、実は、趣味で書をたしなむ私が書いたものです。「桃李園」と名付けたのは、施設を開設した義父。「最初の10年間は、わしが施設の面倒を見る」と言って、事業の土台をつくってくれました。

 

看護学校を卒業して看護師になり、大学病院に2年間勤めた後、九州の看護学校で教員の職に就きました。その後、大学病院で知り合った整形外科医の主人と結婚。家事に専念していたら、主人が開業すると言い出して、専業主婦から院長夫人に。院内の人事や給与の支払いなど、経営サポートに携わり始めると、今度はこの救護施設の開設です。大学の通信課程で学び直し、社会福祉士の資格を取りました。

 

開設当初の昭和63年からの10年間は、寮母長として現場を切り盛りし、その後10年間は副施設長に。平成21年からは、7代目の施設長に就き今年13年目を迎えました。施設長として大切にしていることの一つが、想いを伝えることです。利用者には毎月バースデーカードを書き、職員には毎月1~2回「てる子通信」を発信することで、意思の統一を図っています。

 

2. 命ある限り、この施設を守りたい

50年間を費やしてきた医療と福祉は、天職だと言われます。困った人をほっておけない、おせっかいな性格だからでしょうか(笑)。幼い頃の記憶の中で、父が困った人の相談に乗ってあげたり、母がお米やお芋を分けてあげていたのを覚えているんです。両親が人様のお世話をしている姿を見ていたことが、今の私をつくっているのかもしれません。

 

30余年間、桃李園を守ることができてしあわせです。桃李園に入所された一人ひとりが「生きていてよかった」と思えるセーフティネットとして、どんなことにも最善を尽くしながら、命の続く限りこの場所を守り続けます。

 

従業員紹介

主任生活支援員 藤本愛実さん

生活支援の仕事とは、「見守り」「待つ」こと

 

利用者の方々の生活支援が主な仕事です。具体的には、一人では入浴が困難な方の介助や、食事の見守り、洗濯や掃除のお手伝い、日用品の整理整頓など。手伝い過ぎないよう、一人ひとりができる範囲を見極めながら、自分だけでできるようになっていただくためのサポートを心がけています。

 

 

日々の仕事で大切にしているのは、利用者の方々を見守って待つことです。例えば、半身に麻痺(まひ)のある方は更衣に時間がかかります。でも手を出さず、「こっちから手を通しましょうか」などと声をかけて待つんです。

 

「ここまで手伝うから、この先は自分でお願いね」「昨日はここまでできたから、今日はその続きから挑戦してみましょう」「今日は手伝うけれど、元気な時は自分で頑張りましょうね」と、声のかけ方も工夫します。「見守る」「待つ」を続けることで、自立される方も多いんですよ。

 

 

産休後に2度復職、充実感あふれる職場だから戻りたくなる

 

大学で社会福祉士の資格を取得。在学中に桃李園の求人を見て施設見学に来ました。実は見学に来るまで、救護施設についてあまり詳しくなく、どんなところか経験してみたいと思い、お世話になろうと決めました。

 

特別養護老人ホームでアルバイトも経験していましたが、いざ桃李園に入ってみると全く違っていました。必要とされる支援内容が、利用者一人ひとりによって本当に様々だったんです。だからこそ、やればやるほどいろいろなことが見えてきて、魅力の多い職場だと思いました。

 

充実した施設なので勤続年数の長い職員が多く、退職しても復職する方がたくさんいらっしゃいます。私も就職後に結婚して産休も2度いただき、その都度復職してきました。

 

 

思い出深いのは、もう20年以上前のこと、19歳で入ってきた青年です。知的障害がありましたが、真面目で素直な方。桃李園でいろいろな手伝いがしたいとやってこられました。職員の仕事をサポートしたり、他の利用者の方々のお世話をする中で、少しずつ自立への道が整い、無事に国家公務員として就職されたんです。社会復帰されていく姿を拝見しながら、この仕事に携わる充実感を感じた出会いでした。

 

心が通い合ううれしさ、利用者は家族!

 

「気を付けて帰りよ」「今日も寒かったやろ」。

 

私の帰宅時や朝の出勤時に、利用者の方々が声をかけてくださいます。宿直を通じて寝食を共にし、同じリズムで生活しているので、皆さんは家族のような存在。「今日は寒いね」と、日々の他愛もない世間話を通じてコミュニケーションを取るのと同じように、施設で生活しているみなさんとも接したいんです。

 

そんな時、心がけているのは、できるだけプラスのイメージの言葉を使うこと。「これはダメ」じゃなくて「こうしたほうがいい」って言われるほうが、前向きに取り組めますよね。

 

 

地元だからこそ築ける、自分らしい働き方

 

生活支援の一環として、利用者の方と一緒に商店街へ買い物に出かけることもあります。おかげで加東市の細部まで知ることができ、まちに親近感を持てるようになりました。住まいと職場が地元の北播磨エリア内なので、結婚、出産後に復職できることも、地元勤務ならではのいいところだと思います。職場だけでなく、住まいも加東市に決めたかったぐらいです(笑)。

 

まちも職場も、とにかく飛び込んでみてください。中に入ってみないとわからないことが、たくさんあります。「郷に入れば郷に従え」と言いますが、試行錯誤しながら自分の働くスタイルを築いていきませんか。ぜひ、勇気を持って飛び込んでください。

 

 

文:内橋麻衣子/写真:高橋武男

会社情報

会社名称 救護施設 桃李園
本社所在地 〒679-0203 兵庫県加東市稲尾383-40
事業内容 生活支援、就労支援、機能訓練、居宅生活訓練、一時入所、アルプス相談センター、DV避難所
HP http://www.tourien.com
TEL 0795- 48-4727

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