阿江ハンカチーフ株式会社:矢裂尚敬さん

大阪から東京、そして播州織の産地・加東市へ



加東市の会社で活躍する人や起業家など、地元で面白ことをしている「ひと」を紹介するコーナー。

記念すべき1回目のご登場は、播州織の老舗・阿江ハンカチーフ株式会社でクリエイティブディレクターを務める矢裂(やさき)尚敬さん。出身の大阪から上京し、東京の大手アパレル会社などで約10年勤務したのち、加東市の阿江ハンカチーフに。東京から一転、加東市の会社に転職した経緯、播州織の産地で働く良さなど、根掘り葉掘り伺ってきました。どうぞご一読を! (聞き手・文/高橋武男)

東京の大手アパレル会社でファッションデザイナーとしてのスキルを養う

高橋 前回の取材(阿江ハンカチーフ(3)革新と逆行――。相反する2つの要素を融合し、祖業の織物を時代に合わせて進化させてきた)では矢裂さんが阿江ハンカチーフに入社後、自社ブランド「orit.(オリット)」を立ち上げられた経緯を伺いました。今回は矢裂さんご自身にフォーカスし、「そもそもなぜ加東市の会社に?」「田舎で働くメリットやデメリットは?」など、興味のおもむくままに質問させていただきます。よろしくお願いします!

矢裂 こちらこそ、よろしくお願いします。

高橋 まずアパレル業界に身を投じることになったきっかけを教えてもらってもよろしいでしょうか?

矢裂 僕は出身は大阪市で、ファッションデザイン学科のある関西の芸工大を出たんです。当時、いちばん興味があったのがファッションだったので、大学もその道に進んだ感じですね。

高橋 卒業後は大阪の会社に?

矢裂 いえ。東京の大手アパレル会社に入りました。といっても働く場所にこだわりがあったわけではなく、希望の仕事を探した結果、ご縁のあった会社がたまたま東京だった、というだけなんですけど。



高橋 その会社ではどんな仕事を?

矢裂 企画デザイン職です。MD(マーチャンダイザー)と呼ばれる人たちが企画したアイテムをデザインする仕事ですね。その会社は複数のブランドを展開しているなかで、僕が担当していたのは子ども服でした。

高橋 (ブランド名を聞いて……)おお、誰でも知ってるメジャーブランド! 全国の百貨店で展開するブランドですし、やりがいも大きかったんじゃないですか?

矢裂 そうですね。自分がデザインした服が売り場に並んだり、子どもたちが着たりしているのを見るのは嬉しかったです。一方、大手なので職種が細分化されていて、ものづくりの全体像が見えないジレンマを抱えていました。

部分から全体へ――東京のドメスティックブランドに転職

高橋 ものづくりの全体像……ざっくりで結構ですので、仕事の流れを教えてもらってもいいでしょうか?

矢裂 まずディレクターやMDが商品開発や販売管理、予算管理などを行い、次にデザイナーがアイテムごとの商品デザインを担当します。そのデザインをもとにパタンナーが紙型(パターン)に起こし、現場が最終製品に仕立て、営業が店舗に届ける、簡単に言うとそんな流れです。

高橋 その各工程を兼務するのではなく、矢裂さんはデザイン業務が中心だったわけですね。

矢裂 もちろん好きでさせてもらっていた仕事ですが、将来のキャリアを見据えると、全体が見える立場を求める気持ちが強まっていったんです。そこで5年ほど勤めたのち退職し、ドメスティックブランドを展開する東京の会社に移りました。



高橋 転職先ではどのような仕事を?

矢裂 アパレルとは別の仕事が本業の会社で、いち事業部としてドメスティックブランドを展開していたんです。僕はそのアパレルの事業部に配属となり、ブランド運営を任せてもらいました。

高橋 部分から全体へ――希望どおりですね。

矢裂 商品企画からデザイン、営業まですべてやるのは大変でしたが、すごく勉強になりましたね。この当時の経験が、オリットの立ち上げや営業にも活きていますから。

東京から一転、加東市の阿江ハンカチーフに

高橋 オリットという言葉が出てきましたね。さてさて、東京で順調にキャリアを積んでいた矢裂さんが、なぜ兵庫の田舎にやってきたのか(笑)、まずきっかけを教えてもらっていいですか?

矢裂 2社目の会社も5年ほど勤めたんですが、次第に短期サイクルで消費されるアパレル業界の在り方に疑問を抱くようになったんです。アイテムによっては半年ほどで鮮度を終え、セールで在庫を売り切るサイクルが繰り返されることもあります。商売を考えると致し方のない面もありますが、「シーズンを超えて愛されるものづくりに携わってみたい」「できるならばものづくりの現場で働いてみたい」――そんな思いを抱くようになったんです。

高橋 たとえば日本には織物の産地がたくさんありますが、どうして播州織の地域を選ばれたんでしょう?

矢裂 偶然の出会いでした。というか、そもそも転職先はアパレルに限ってはいなかったんです。ものづくりの現場で働ける環境を求めて求人情報を見ていたとき、たまたま阿江ハンカチーフの募集に目が留まったんです。

高橋 どんな内容だったんですか?

矢裂 阿江ハンカチーフの織りの技術を活かして新規事業を立ち上げる、その責任者を求めるといった内容でした。ものづくりの現場という希望を叶える会社だと思い、お世話になることにしました。



高橋 まさに邂逅(かいこう)ですね。ちなみにご出身は大阪なので、「次は関西で」という思いもあったのでは?

矢裂 それもなかったんです。求める仕事ができるのであれば日本全国どこでもOKでした。

高橋 それでも最終的に加東市にたどり着いた決め手は何だったんでしょう?

矢裂 発信力だと思いますよ。産地企業の多くは、たとえばハローワークなど地元の人しか知り得ない場所で募集されていますよね。だから加東市に限らず、産地の会社を東京で探すのは簡単ではありませんでした。その点、阿江ハンカチーフは大手求人サイトで情報を出していたから見つけやすかった面があると思います。

高橋 なるほど、重要なご指摘ですね。産地の企業は地元の人しか来てくれない前提で募集しているのかもしれません。産地の良さや地元企業の魅力を全国区で発信することで、矢裂さんのように優秀な人に見つけてもらえる、そんな気がします。

産地で働くメリットは、職人の技術を活かしたものづくりができること

高橋 加東市の企業で働くことになり、都市部とは異なる気づきがあったと思います。地方や産地で働くメリットをぜひ教えてください。

矢裂 メリットは、やはりものづくりの現場が近い点に尽きますね。

高橋 具体的にどのような利点がありますか?

矢裂 デザインの役割はゼロから一を生み出すというより、いまあるものをもっときれいに、もっと便利に、もっと快適にすることだと思っています。ものづくりの現場にいると職人の技術を知ることができ、いまあるものをデザインするための活かし方がわかるんです。



高橋 阿江ハンカチーフさんの場合は「明治初年創業以来の織りの技術」「糸の並びを綿密に設計する技術」「風合いを出せる古い機械」などが強みと前回の取材でおっしゃっていましたね。



矢裂 そうです。そんな当社ならではの技術を活かして何をどうデザインできるのか――考えた結果がストールであり、オリットというブランドだったんです。

マーケットから遠ざかるリスクとどう向き合うか

高橋 まさにオリットは、ものづくりの現場に身を置くからこそ見出せたブランドなんですね。一方で、やはり地方で働くデメリットもあると思います。

矢裂 東京から加東市に来て感じたのは、「市場が見えなくなるこわさ」ですね。

高橋 市場が見えなくなる?

矢裂 オリットは地方でものづくりをしていますが、売っている場所の多くは都市部なんです。僕自身は大阪、東京、加東市……と、どの地域でも楽しくやっていけるのはわかっていたのですが、地方の生活に馴染みすぎてしまうと商品が売られているマーケットが見えなくなる心配がありました。

高橋 その感覚、よく分かります。僕が仕事で手がけているビジネス書は主に都市部の書店で売られるので、ビジネス街で働く人たちの感覚を持ち続けなければなりません。その意味では僕の場合、取材活動は大阪市など都市部で行い、原稿は自宅のある加東市の静かな環境で執筆できるので、なんというか刺激(都会)と自然(田舎)のバランスがとれるんです。

矢裂 僕は最終的に住む場所を加古川にしました。JRの新快速で神戸や大阪に出やすいですし、加東市の職場にも通える範囲です。

高橋 絶妙の選択ですね。

矢裂 とはいえ、会社の敷地内の畑を借りて野菜を育てたりしていますし、正直、加東市に住むと居心地が良くなる自信があります(笑)。でもそうなると加東市から出なくなってしまいそうなので、あえてマーケットとの距離が近い場所に自分の身を半強制的に置いたという感じですね。



消費喚起だけではないものづくりを今後も大切に

高橋 では最後に、仕事面での今後の展望を伺ってもよろしいでしょうか?

矢裂 来春に向けて、ストール以外のオリットの新アイテムを発表する構想を描いています。

高橋 オリットは〝和製洋品雑貨ブランド〟と銘打たれているとおっしゃっていましたしね。

矢裂 あと最近、加東市や北播磨の企業さんから、取引先や海外出張への手土産にできる商品がほしいとお問い合わせをいただくようになりました。単に消費されるだけの商品ではなく、コミュニケーションを生み出したり、シーズンを超えて愛されるものづくりを大切にしているので嬉しいですね。今後も、そんなものづくりを大切にしていきたいと思います。

高橋 まさに矢裂さんがおっしゃっていた消費喚起だけではないものづくり、ですね。阿江ハンカチーフの技術があるからこそ生み出せる唯一無二のオリジナル商品、今後も期待しています。本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。

矢裂 こちらこそ、ありがとうございました。



【会社概要】
名称:阿江ハンカチーフ株式会社
事業内容:ハンカチーフ製造、各種生地製造、自社ブランド運営
所在地:〒679-0212兵庫県加東市下滝野593-1
電話:0795-48-2031
http://www.aehandkerchief.jp/

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