ウィズコロナ時代で地方の価値はさらに高まる
2020/05/08
「田舎には、人に必要なものがほとんどそろっている。ないのはアクセス面での利便性だけ」
2年ほど前、当サイト管理人が通っていた小学校の元先生と再会する機会がありました。その先生は現在、加東市のご自宅に住まいながら、阪神間の大学の講師(??)をされているそうです。
冒頭の一文は、その先生がおっしゃったひと言です。管理人の私も同じことを考えていたので心の中で膝を打ちました。
管理人は高校卒業まで加東市で過ごし、その後は大阪府枚方市で10年、尼崎市で8年ほど過ごしたのち、36歳で加東市にUターンしました。
帰省して再認識したのは、加東市の住みやすさです。自然が豊富で子どもが遊べる公園も多く、車さえあれば生活面での不自由もそんなにない。ぎゅうぎゅう詰めの満員電車でストレスをかかえることもないし、渋滞に巻き込まれることもすくない。
管理人は仕事上、大阪市内をはじめ全国に出張する機会が多かったのですが、工夫すれば加東市から大阪市内まで1時間半ほどで行けますし、伊丹空港までは車で1時間。新幹線を利用する際も西に移動するときは新神戸駅まで車で1時間だし、東に行く場合でも管理人の移動手段では新大阪駅までそんなに苦痛ではありません。
「加東市に帰ってきても、仕事に決定的な不都合はないやん」
主に都市部で仕事をしてきた管理人でしたが、心配していたほどの不便はありませんでした。(総合的な住みやすさは田舎に軍配が上がる、そんな考えを管理人個人のブログで数年前に書いていました→【活動記③】兵庫県の市町村で2番目に住みやすい町)
しかしながら、加東市に帰省して不便を感じることがただひとつありました。それは、矛盾するようですが、アクセスです。
とくに電車。車があればそれほど不便ではないものの、大阪や神戸などの都市部とつながる直通の電車がなく、仕事先の大阪や神戸で飲んで帰るのが難しい課題を感じていました。お客さんと飲むのがあらかじめ決まっている日は、ホテルに泊まることを前提にするなどでしのいだりしていました。
ところが。
今回の新型コロナによって、「田舎に唯一欠けていたアクセス面での利便性が、じつは大きなデメリットではなくなってきているのでは」と何となく感じています。
デメリットではないどころか、逆にメリットなんじゃないかとも。
都市部に住まう良さは何でしょうか。生活圏内から近い場所にエンターテイメントや食があり、求める知にアクセス可能で、会いたい人にもすぐ会える、かんたんに言ったらそんなところでしょうか。
つまり人口が密集し、その密集したエリアに衣食住、知、エンターテイメントのすべてが詰まっている、というのが都市部の利点です。
でもネットが普及したことで、住む場所に制限なく、楽しい生活をある程度は送れるようになりました。(このあたり書き始めると長くなりそうなので割愛します、笑)
つまり現在は田舎に住まうメリットを享受しながら、唯一のデメリットであるアクセス面での利便性を克服する手段もある程度は存在するわけです。
一方、今回の新型コロナによって、都市部のメリットであったはずの密集が、時にリスクになり得ることが露呈してしまいました。
であるならば。
アクセス面での利便性以外はすべてそろう田舎でのびのびと楽しく健康的に暮らしながら、田舎に欠けているかもしれないものを代替できる方法を模索する――これが、ウィズコロナ、アフターコロナ時代の新たな住まい方、田舎の価値なのかな、とすこし思ったのでコラムにしてみました。